ある評論家が、最近はプロレスという概念が伝わらずに困る、ってことを言っていた。

例えば討論番組。
出演者は全員プロだから、当然その問題は熟知している。
でも視聴者は必ずしもそうではない。
なので、最初はお互いが討論を通して基本的な知識を確認していく。
いきなり難解な話はしないのである。

視聴者を意識しながら、初心者にもどういう話かを伝える。
時折玄人好みの話題をしかけて、観客を楽しませる。

これは、プロレスである。

時折、テレビ討論番組の枠組みを超えた議論を仕掛ける論者がいる。
プロレス者なら、奴はシュートをしかけた、とか、
あの出演者はガチ、とか思うだろう。

もちろん、ガチをしかけたものをつぶすことも簡単だ。

「あなたが言いたいことは○○ってことでしょう。
 そんなことは言われなくてもわかってるよ。
 それに、それは☆☆が◇◇で指摘してるけど、
 あなたはそれを踏まえてないよ。勉強不足」

などとそれまでの和気藹藹とは一転、格の違いを見せつけたりするのである。

こういうのはバラエティの場面にも見受けられる。

プロレスを知っていれば、世の中の見方は確実に変わるのである。

討論「番組」も、バラエティもテレビである以上、それはショーだ。
しかし、そのショーで演者の価値が決まってしまう。
命がけのショーなのだ。
そして、プロレスは身体的な意味での命もかけている。

また、客がいないプロレスはない。
客がいなくても野球やサッカーはできるが、
客がいないプロレスというのは本来存在しない
(巌流島もまた見えない観客を意識したものだ)。

客とレスラーが作り出す熱量、うねり。
そんな大河ドラマがプロレスでは繰り広げられている。

嗚呼、素晴らしき哉プロレス。

と、プロレスを見ているといろんなことを考えるようになってしまうし、
本書「教養としてのプロレス」を読みながら、
またプロレスについて考えてしまった。



プロレスは、虚実皮膜を生きている。
本当と思えば嘘であり、嘘かと思えばまこともある。
デルフィンがサスケにずいぶん突っかかるなぁ、そういうシナリオかなと
思ってると本当に退団して独立したり。

大仁田は引退すると何度引退興行を打ち、
引退詐欺だといわれたとき、

「金がないんじゃー」

と言った(インタビューか何かを脳内変換してるのかもしれないが、
僕の記憶では絶叫してることになっている)。

プロレスは人生である。

本書は、プロレスを愛することで、幸か不幸か半信半疑で見ることを
覚えた著者の現代時評である。

「私はプロレスファンだったからオウムに入信せずにすんだ」
「立花隆氏は人生の何を見つめているのか」

など、その対象も幅広い。

プロレスが好きな人も、そうでない人も必読。
問題は、今のプロレスを見てそんな見方が身につくのかということだけれど・・・